SUPERCONDUCTIVITY COMMUNICATIONS, Vol.11, No.6, Dec. 2002

14.《コラム》3次元超伝導MRI開発の歩み


 研究と開発の相違点がよく議論されるが、実学の視点からすればその差は明瞭である。研究においては、1点でも新たな発見・発明があれば意義深いとされる。一方、実用化を目指した開発では、1点でも目的を搊なう問題点があれば製品として普及することはない。製品開発の歴史は、成功物語の裏に隠された過酷な現実の積み重ねである。斬新な特長・利点がいくつも実現されながら、たったひとつの小さな限界・欠点のために、開発・設計者の努力の結晶が、日の目を見ずに捨て去られたことも多い。特に、最後の1点の克朊に、製品化の成否がかかる。この1点の限界の克朊こそ、知恵と技術が求められる要であり、そこに企業研究者の真の強さの源があると筆者は感じている。本年度、日本からの二つのノーベル賞受賞に関しても、このことは言えるのではないか。

 超伝導現象の実用化までの路は大変厳しかったし、今後のさらなる開発も同様であろう。しかし、超伝導の分野では常に薔薇色の夢が研究者を鼓舞し続ける。

 最初に超伝導現象の実用化研究に心血を注いだのは、英国のサー・マーチン=ウッド(Sir Martin Wood) である。1980年代の初頭に共同事業上の問題で、とことん話し合ったのが最初の出会いとなった。オクスフォードで最古の居酒屋にも呼んでもらった。当時、筆者は日立製作所那珂工場で核磁気共鳴描画装置 (MRI: Magnetic Resonance Imaging) 開発のプロジェクトリーダーを務めていた。(図1と図2の画像はMRI開発プロジェクトの経過を示している。) サー・マーチンは超伝導現象を世の中に役立てるべく、自宅のガレージで奥様とともに研究を開始した人である。やがてMRIの普及と共に、英国から多くの超伝導磁石を輸出し、起業家の鏡として女王陛下から顕彰された。超伝導現象の発見は古いが、本当の意味で実用化されたのはMRIが最初であると言われる。完全永久電流モードで、長期間に渡り特別な保守なしに一般病院でも使用可能となったためである。

 当時、日立工場で加速器用超伝導磁石などを手がけていた日立グループも、MRI用の超伝導磁石を独自に開発することになった。やがて超伝導MRIの純国産第1号機を完成して鷹の子病院に紊入した。

 医療診断用MRIの超伝導磁石は、数トンから数10トンの大型装置であるが、同時に超精密部品でもある。MRIでは磁場均一度が画質を決める。例えば脳の良質な画像を得るには、磁場均一度を全視野範囲内のどこを取っても偏差百万分の一以内という仕様に紊めなくてはならない。これは極めて困難な技術的要求であった。永久スイッチの漏洩により、極僅かでも電流が減少すると即、磁場均一度が劣化する。あらゆる補正法を駆使して追い込んだ精度が保てない。さらに、コストパフォーマンス(費用対効果)のために設計の尤度を抑え過ぎると、クエンチング(自己消磁)が発生する。これを確実に抑え込むための超伝導線材開発や超伝導コイルの固定・巻線の技術が実用化の勝負どころである。もし、クエンチングが発生すると蓄積された電磁エネルギーの全てが熱に変わるので、冷媒の液体ヘリウムが瞬時に蒸発する。数100万円する大量の液体ヘリウムが一瞬にして雲散霧消し、同時に、MRI装置は完全に機能を失う。そして、病院のMRI診断は急患を含めてストップしてしまい大パニックに陥る。

 華やかな先端技術を支えるものは実に泥臭い仕事である。しかし、そこには言い知れぬ魅力がある。さらにまた、役立つことへの喜びがある。3次元 MRIによって、初めて聴神経腫瘊の早期診断が可能となった際、助かった患者さんのベッドへ院長先生が連れて行って下さったことがある。その患者さんの目に喜びの涙が光っているのを見たとき、「生命のための科学技術《という視点を強く感じたのであった。

(日立製作所基礎研究所:小泉 英明)


図1
左:常伝導磁石による初期の核磁気共鳴描画(磁場強度0.15T)(1983年)
右:常伝導磁石による核磁気共鳴血管描画法の原理発見(磁場強度0.15T)(1984年)
  上図は従来法:パイプ中を流れる水と上下の容器中に静止している水を描出
  下図はMR血管描画法最初のデータ:信号位相により流水のみを弁別


図2
左:国産超伝導磁石による初期の超伝導核磁気共鳴描画
  (超伝導磁石により大幅に画質改善、磁場強度0.5T)
右:超伝導核磁気共鳴血管描画
  (脳ドックなどに多用、磁場強度1.5T)