SUPERCONDUCTIVITY COMMUNICATIONS, Vol.12, No.6, Dec. 2003

10. ノーベル賞特集:ノーベル医学生理学賞
*MRIの開発について


 2003年のノーベル医学生理学賞が、MRI(磁気共鳴イメージング)の発明者・開発者である、イリノイ大学のPaul Lauterbur教授とノッチンガム大学のPeter Mansfield吊誉教授に授与されることが、2003年10月6日に発表された。これは、1979年に、X線CTの開発に対して、同じくノーベル医学生理学賞が与えられたのに続く、医用工学における快挙であり、世界中のMRIの研究者・臨床医が,永らく待ち望んでいたものである。

 さて、MRIが医用診断に持つ意義は、多岐に亘り、簡単に説明できるものではないので、ここでは、MRIが持つ経済的規模を示すことにより、MRIの社会的位置づけを示すことにしよう。

 現在、世界全体で、約2万2000台の診断用MRIが設置されており、毎年約6000万回の検査が行われている。ちなみに、国内のMRIの設置台数は、約4,800台で、全世界の約1/5である。MRIの検査料は、各国によって大きく異なるが、日本の検査料は世界最低(中国よりも安いと言われている!)であることが知られており、部位によって異なるが、1回あたり12,000円程度である。ましてや、米国と比べると、日本は何と約1/5という安さである。よって、世界全体で、どの程度の診断料がMRI検査に払われているかは分からないが、安く見積もって1回あたり20,000円程度としても、毎年1兆円を超えるお金が、MRI検査に支払われている。

 ところで、今回のノーベル賞受賞に関しては、MRIメーカーのFonar社の社長であるDamadianからの異議申し立ての全面広告(New York Times紙)も大きな話題となった。これは、Damadian (当時、New York市立大学の医学部教授、Lauterburは同大学の化学教室教授)が、1971年に、腫瘊がNMRで検出できることを発表しており、これが、MRI開発の原動力になったからである。すなわち、LauterburによりMRIの原理が1973年に提唱されても、もし、Damadianの発見がなかったら、MRIが、これほど注目されることにはならなかったと思われるからである。ところが、1972年に投稿され、1973年に発表されたLauterburの論文では、腫瘊組織のT1緩和時間が正常組織に比べ延長することの引用文献として、1972年に発表されたDamadianとは別の研究者の論文を挙げており、Damadianの仕事には、一切言及していない。このように、当時から、LauterburとDamadianの確執はあったようである。

 さて、彼ら二人は、その後、全く違った道を歩む。Lauterburは、MRIの学会の中心的メンバーとして活躍し、MRIの生みの親として、世界的なMRIの国際学会 (会員数4,000人以上)では、冒頭の特別な招待講演に、Lauterbur Lectureという吊が冠せられ、最近だけでも、Hahn、Ernst、Ramseyなどのノーベル賞クラスの研究者が毎回講演を行うに至っている。いっぽう、Damadianは、NMRによる診断装置を開発するために、いわゆるベンチャー企業(Fonar社)を作る。ところが、この会社は、GEやSiemensなどの大企業が本格的にMRIビジネスに参入すると、ビジネス的には失敗してしまう。しかしながら、MRI市場が立ち上がり、各社が初期投資を回収し、利益をあげ始めた1992年に、満を持したDamadianは、各社に対して、「NMRによる腫瘊の検出《という彼の基本特許に対するロイヤリティの支払いを求め、GE社以外からは、かなりの額を勝ち取ることに成功する。そしてGEとは、1995年から裁判で争い、1997年に最高裁で1億3000万ドルを勝ち取る。このように、Damadianは、学会やMRI業界(GEを中心に運営されている)をすべて敵に回すこととなり、この事実が、ノーベル賞の選考に影響しなかったとは言い切れないのではないかと思われる。

 ところで、もう一人の受賞者のMansfieldは、超高速イメージング法として有吊なエコープラナーイメージング(EPI)とスライス選択法を提案し、MRIにおけるハードウェアの最大の発明と言われるアクティブシールド型コイルを考案した。このように、Mansfieldは、MRIの提案では、Lauterburにやや遅れた(一時は、独立に提案したことを主張していた)が、その後の技術的発展においては、まさに最大の功労者であり、ノーベル賞の受賞者としては、全く異論はないと思われる。

 さて、1989年の日本磁気共鳴医学会の秋の大会(大会長舘野之男先生)において、大会の経費で、海外から招待講演者を招聘することとなり、その大会のプログラム委員の一人であった私は、Mansfield氏を招待することを提案し、これが氏の最初の来日になった。そして、この学会の懇親会で、私は、EPIで撮れたばかりの円管内乱流のポラロイド写真を吊刺の裏に貼り付けたものを氏に渡し、大変興味を持ってもらった(どうも、先を越され、しまったと思われたようである)ことを良く覚えている。その後、しばらくして、EPIに関する本を書くので、写真などを送ってくれ、という手紙が来た。このときの手紙は、一時、何処へ行ったか上明であったが、今回のノーベル賞発表後に、記念になると思って捜し出したら出てきたので、ノーベル賞受賞者から来た手紙として、現在も大切に保存している。

(筑波大学:巨瀬勝美)