この系の物質群は、分子科学研究所の小林速男教授のグループにより以前から精力的な研究がなされていた。l-(BETS)2FeCl4はゼロ磁場下では8Kで金属―絶縁体転移を示し、この転移はFeのモーメントの反強磁性転移に由来すると考えられている。一方、同一構造のl-(BETS)2GaCl4は、転移温度6 Kの超伝導体である。ちなみに、小林らのグループはこの二つの物質の混晶系において温度変化による超伝導―絶縁体転移といった現象を報告している(Phys. Rev. B61 111)。今回の磁場誘起超伝導は、l-(BETS)2FeCl4において強磁場下により、絶縁体状態から常磁性金属状態が復活させられた相図上で発見された。この現象の特徴は、
(1)磁場の方向が伝導層に平行方向から極めて限られた角度でのみ起こる(±0.3度以下)。
(2)基本的には、磁場は伝導層と平行であれば良く、面内依存性はない。
(3)磁場依存性に対して電気抵抗のヒステレシスはなく磁気トルクにはある。
(4)超伝導の転移温度は磁場とともに増加する。
といったものである。
宇治氏らは、この現象のメカニズムについて、まずは、この系が擬二次元電子系であることに注目している。磁場よって誘起される、擬二次元電子系から二次元電子系への次元交差現象を仮定して、磁場誘起超伝導の出現を説明しようとするものである。次に、Feの常磁性モーメントの存在と関連づける考察である。l-(BETS)2GaCl4においても同様の実験を行った結果、磁場誘起超伝導が観測されず、超伝導の磁場効果に対しては大きな違いが見られた。この実験事実とも関連づけて、Feの常磁性モーメントによる磁気揺らぎが磁場誘起超伝導のペアリングメカニズムに関わっているように思えるとして本文を締めくくっている。メカニズムの全貌は、今後の研究展開にも期待される部分もある可能性があるが、いずれにしても、宇治氏らの指摘のように、この物質が異方性の大きな擬二次元電子系であるという事実と、Feの常磁性モーメントが存在するという事実は、磁場誘起超伝導の発生メカニズムに関して決定的な役割をするであろう。また、層状物質の面平行磁場下の上部臨界磁場が極めて大きい値であるということも、この現象を可能にしていることは言うまでもない。
近年、有機p電子系物質の研究は飛躍的に発展し、他の強相関電子系である重い電子系物質(f-電子系)や遷移金属酸化物(d-電子系)と肩を並べる存在になったと言えるであろう。有機伝導体の物性研究上の利点は、多様な構成分子の存在と、それらを構成させるときの自由度の大きさである。構成分子の様々な配列により、擬一次元及び擬二次元電子系を作ることができ、そこでの強相関効果や低次元性を反映した多様な基底状態を作り得るわけである。これらの物性は圧力や構成イオンの置換により、バンド幅や次元性の変化を通して制御することができる。また、ごく近年、有機半導体においてFET構造による、電荷注入の手法が開発され、それにより超伝導状態が作り出されたことは広く知られている(Nature 406 702)。この研究成果はそれまで有機物においては苦手とされてきた、バンド充填率の連続的制御に対して一石を投じたものである。今回の磁場誘起超伝導を出現させている、l-(BETS)2FeCl4という物質は、上述したような、次元性、バンド幅、バンド充填率に加えp-d 相互作用というもう一つの自由度を有している。 磁場誘起超伝導の発現について、もし、宇治氏らの言う、Feの常磁性モーメントの磁気揺らぎが超伝導のペアリングメカニズムに関係しているのであれば、超伝導の物質設計に対して、それまでのバンド幅やバンド充填率の制御によって超伝導を出現させようとする方向性とは、まったく異なる重要な指針を与えるであろう。
(Bernardo)