SUPERCONDUCTIVITY COMMUNICATIONS, Vol.23, No.3 June, 2014


<前田弘先生追悼特別寄稿>

前田先生とビスマス特許の思い出             東京都市大 北澤 宏一


前田先生がビスマス系の高温超電導体を発見された時、当時の金属材料研究所は米国にも特許を申請した。そこで、大きな問題があるということで先生から私に相談があった。

問題は「米国においてはヒューストン大学の方が前田先生よりも先にビスマス系を発見した」とする主張がなされているということであった。私は前田先生の発見のニュースを聞いた後にヒューストン大学を訪問した。その時にヒューストン大のポスドクや大学院生から「日本からのニュースを聞いてすぐに自分たちもビスマス系を作った」という話を聞いていたので、「そんなばかな話はない」と前田先生に申し上げた。ところが米国特許庁は「前田先生の発表直後にヒューストン大学から自分たちが先にビスマス系を発見していたと実験データを発表したので、発見を行った時点はヒューストンの方が先のはずである。」と言っているという話であった。発表を知ってから研究を始めたのでは、あれほどすぐにデータが出せるはずがないということのようであった。

 このため、前田先生からは米国と特許係争になった時には私に証言をしてもらいたい、という依頼があった。気乗りはしなかったが、致し方なし、お引き受けすることにしていた。

しばらくしてのことであった。当時の金属材料研究所の超電導研究グループに宛てて私が送ったファックスが発見され、そこに重要なことが書いてあるとのことであった。「東大の我が研究室でもすぐにビスマス系を合成し、試してみたところ、確かに高温超電導であることが分かりました。大発見おめでとうございます。」といったことが書かれていた。ファックスが送られた時間が記録されており、ヒューストンから発表があった時刻よりも早い時刻が記されていた。

 当時、どこかで「発見」のニュースがあると、地球の裏側の方が早く伝わることが分かっていた。大体の発表は午後になされるのでニュースは国内では翌日に伝わるのだが、海外には発表の日のうちに伝わるからであった。

 その後、前田先生から「ビスマス系の特許は何とかなりました。有難うございました。あのファックスが証拠になりました。」と感謝された。

前田先生は登山が好きであった。IBMチューリッヒ研究所のベドノルツを訪ねた時にカウベルの音を聞きながら牧場の上の山に登った。山頂で初めて見た「自分の影が映る丸い虹」を前田先生から「ブロッケン現象」と呼ぶことを教わった。前田先生の思い出である。