SUPERCONDUCTIVITY COMMUNICATIONS, Vol.23, No.3 June, 2014


<前田弘先生追悼特別寄稿>

前田 弘先生の逝去を悼んで        物材機構 熊倉 浩明


去る524日に、ビスマス系酸化物超伝導体の発見者である元物材機構、極限場研究センター長の前田弘先生が急逝されました。78歳でいらっしゃいました。旅先での出来事であったと伺っております。

前田先生は長年にわたって物質・材料研究機構(旧金属材料技術研究所)の超伝導研究を指導されました。ビスマス系超伝導体発見の当時、前田先生は私の上司でしたが、元々は超伝導の研究者ではなく、磁性の研究者でした。酸化物の磁性をやっていたことがビスマス系の発見に少しは役立った、というようなことを前田先生ご自身から伺ったことがあります。前田先生は当時、超伝導材料部門の部長をされておられましたが、忙しい職務の合間にご自身でバルクの試料を種々作製され、特性の評価だけ部下に頼んでおられたようです。私が初めてビスマス系超伝導体発見の事実を知ったのは、前田先生がプレス発表をする前日でした。その時は物材機構内の超伝導研究者が全員集められ、みんな興奮しながら前田先生の説明を聞きました。二段遷移の抵抗‐温度曲線が示され、高い方は明らかに100 Kを越えており、衝撃を受けましたが、低い方は80-90 K程度だったと記憶しています。結晶構造もまだ未確定でした。前田先生は、何とかこの二段遷移を一段の遷移(高い方の)にすべく努力したけれども力及ばず、ここで公に発表して内外の研究者に委ねたい、というような話をされたと思います。この前田先生の新発見によって物材機構の超伝導研究は大きく舵を切ることになり、私は、それまで研究していたY-123や金属系超伝導材料の線材化の研究を急遽ビスマス系に切り替えることになりました。

前田先生は大発見をした研究者であるにも関わらず大変に気さくで親しみやすく、多くの人に慕われていました。物材機構を退職されてからは、東北大金研、北見工大、フロリダ州立大と、いくつかの機関で研究を続けていらっしゃいましたが、それらの機関の方々もきっとそのように感じておられることと思います。私も前田先生の家には何回か招かれて、温かく楽しい雰囲気の中で奥様の手料理をいただいたことを思い出します。また、前田先生はテニスが御得意で、天皇・皇后両陛下がつくば市を来訪された時には、御一緒にテニスを楽しまれました。

このような超伝導研究の偉大な先駆者で、人間味あふれる先輩を突然失うことになってしまい、誠に残念でなりません。お亡くなりになる前の週にも、お元気な姿を物材機構でお見かけしたのですが……。

ここに謹んでご冥福をお祈りいたします。

 

 

テキスト ボックス: 強磁場に関する国際ワークショップ(1995年、つくば市)でお話をされる前田 弘 先生